ItaliCON百科事典その8

ダンテの伝記を辿っていたときに初めて耳にした言葉でした。ドイツ語だったんだー。

guelfo

イタリア語化された形容詞で、ザクセン公バイエルン公の軍隊の戦争の時の掛け声である("Hye Welfen"、一族の祖先の名前であるWelfに由来する)。シュヴァーベン公(ホーエンシュタウフェン家とその支持者達、いわゆる"Ghibellini":ギベッリーニ)の敵対者達で、この2つの党派は、12世紀の前半にドイツ王室のために戦っていた。
シュヴァーベンのFederico I Barbarossaのドイツ王(1155年)、続いて皇帝への就任の後、この言葉はとりわけイタリアで、あらゆる皇帝の敵を示す言葉となった。
つまり、教皇党または、Ghibellinoという形容詞で称されるホーエンシュタウフェンの敵を示し、12世紀〜14世紀の間のイタリアの政治世界の中での両側の憎しみや争いを特徴づける言葉である。イデオロギーと政治的な対立は特にフェデリーコ二世と教皇との戦いのときに激しかった(1230-1250年)。しかし、シュヴァーベンのマンフレディの時代から激化と停滞を繰り返して終わり、イタリアの政治世界からドイツ人ローマ皇帝がいなくなった。そしてフランス系のグエルフィ党が作られ、カルロ・ダ・アンジョ、フィレンツェ教皇に導かれて彼らは覇権を得ることに没頭した。アンジュー家に対する抵抗軍はアラゴン王国の頃、又はドイツ人君主達がイタリアに入ってきた頃に集中した(この辺り良く意味がわからない…)。
14世紀にGuelfismoとGhibellinismoに関する理論的考察が、ダンテ・アリギエーリ(Monarchia)、マルシリオ・ダ・パドバ(Defensor Pacis)、バルトーロ・ダ・サッソフェッラート(De Guelphis et Ghebellinis)、アザリオ・ダ・ノヴァーラなどの政治的作品の中で深められた。1366年に対立を和らげるため、ベルナボ・ヴィスコンティが領民全てに、Guelfo、Ghibellinoという言葉を発することを禁止し、それに続いてこの対立は消えていった。
慣例的に、グエルフィ党はフィレンツェ、ミラノ、ボローニャルッカマントヴァパドヴァジェノヴァ、ビテルボの共同体を指し、グエルフィ党の家とは、ボローニャのジェレメイ家、ミラノのデッラ・トッレ家、ジェノバのフィエスキ家、フェッラーラのエステ家、リミニのマラテスタ家を示す。